怪談:妖しい物の話と研究 その1「耳なし芳一の話」
ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)著/小林幸治訳
KWAIDAN:Stories and Studies of Strange Things
By Lafcadio Hearn

電子化者より日本語の発音の注釈
単純ですが以下の一般的な規則は日本語をよく知らない読者が十分に日本語の発音に近くなる助けとなるでしょう。
日本語には五つの母音があります。
:あa(fAtherのAのように)・いi(machIneのIのように)・うu(fOOlのOのように)・えe(fEllowのEのように)・おo(mOleのOのように)、ある母音はいくつかの状況ではほとんど発声しません。この現象は目的に近づくためには無視してかまいません。
子音については「r」を除けば大体において英語の発音と一致します。「r」の発音はどちらかといえば「r」と「l」の中間にあります(これはなぜか日本人が英語の「r」と「l」を判断する時によく問題をおこします)。「f」と「h」についても同じ事がいえます。
「怪談」の英字「KWAIDAN」は日本語の少し古い発音「くゎいだん」を元にしています。ハーンが日本に来た頃にはこの本来の発音はまだ一般的に使われていました。現在ではこの言葉の日本での発音は「かいだん」となっています。
本文の中にはたくさんの括弧があります。ハーンは本書でしばしばそれをつかいました。それらは電子化者による省略の意味ではありません。
著者本人の注釈は角括弧[]の中にあります。電子化者による物は丸括弧()の中にあります。オリジナルの発音記号はこの電子化版には存在しません。
目次
はしがき
耳なし芳一の話
注釈
訳者より
はしがき
世界が日本戦艦の功績の最新ニュースを固唾を飲んで待ち構える重要なそんな月に、デリケートで皮肉な巡り合わせの元にラフカディオ・ハーンの優美な日本研究の新刊の発行となりました。ロシアと日本の間にある現在の争いの結果、それは西洋の兵器を装備し、西洋のエネルギーと共にそれを身にまとい、欧米列強のひとつに対し慎重に強さを計る東洋の国家の現実にこそ意味があります。誰も世界文明のそのような衝突の結果を予測できるほどに賢くは有りません。できるだけ良い方法は、純粋に政治的で現在の戦争に関係した複雑な疑問への統計的な研究よりは、むしろ民族を従える国家的特徴と二つの人種の希望と恐怖に基づく心理状態をなるべく知的に評価する事です。ロシアの人々には一世代以上に渡りヨーロッパの読者を魅了し続ける文学の代弁者がいました。ひるがえって日本人は、タージェニッフやトルストイに例えられるような、国と共に普遍的に認められた人物を持ちません。彼らには通訳が必要なのです。
ラフカディオ・ハーンが我々西洋人の言葉でもたらした日本の翻訳よりも、東洋人の誰かがいずれ通訳して与えてくれる方が、より完全な洞察と共感を得られるのではないかと疑われるかもしれません。彼のその国での長い生活と柔軟な心、詩人のような想像力、素晴らしく明瞭な文章は最もデリケートな文学的仕事に適していました。彼は不思議を見ました。そしてそれを最高のやり方で語りました。現代日本人の生活の様子はほとんど有りませんし、社会の要素もほとんど有りません、政治的、そして現在のロシアとの争いの複雑な軍事的疑問も、これやアメリカの読者を魅了した別の本でも明白にはしません。彼は怪談を「妖しい物の話と研究」と描写し、本によって暗示された沢山の想いが書き留められるかもしれませんが、そのほとんどは不思議であるこの事実に始まって終わるでしょう。目次に有る題名を読むと、どこか遠い所でつかれる仏教徒の鐘を聞くような感じです。彼の物語の昔話のいくつかは、さしずめこの時間に日本の装甲巡洋艦の混雑した甲板に居る小柄な男達のまさに魂と心を照らして見えるでしょう。けれど物語の多くは女性と子供達-世界で編まれたおとぎばなしの中で最も愛らしい素材-についてです。それもまた不思議で、これら日本の乙女と妻と鋭い目、黒髪の少年少女、それは我々に似ていてまだ我々に好意を持たず、空と丘と花のすべては我々とは異なります。これらの我々には非現実的な世界の幽霊を繊細で分かり易く描き出す達人、現代作家の中ではただ一人であろうハーン氏によってかけられた魔法で、霊的な現実感はいつまでも心に残ります。
ポール・エルマー・モアによる鋭く美しい評論が「アトランティックマンスリー」1903年2月号に寄稿されました。ハーン氏の魔法の秘密は「三つの道との出会い」に彼の芸術に於ける真実が有るのを見つけ出したと言っています。「インドの宗教的衝動に-特に仏教-日本の美的感覚で歴史が植えつけたものに、ハーン氏が霊魂の西洋科学的解釈を導き出し、この三つの伝統は彼の心の独特な共感によって溶解され、ひとつの斬新な化合物になります・・・その化合物は前代未聞の心理的大事件を文学に取り入れるほど希少な物です。」モア氏の評論はハーン氏の理解と感謝から高い賞賛を受けました。ここでそれを再び印刷可能であったなら、それは古い日本のこの新しい物語に最高の序論として提供されたでしょう。モア氏が言ったような誰かの要約が有ります。「インドの禁欲的な夢から日本の繊細な美しさとヨーロッパの容赦の無い科学が一緒になってとても不思議に混ざり合っています。」
1904年3月
これから語る怪談や奇談の多くは日本の古い書物に記されている。たとえば「 夜窓鬼談(やそうきだん )」「仏教百科全書」「古今著聞集」「玉すだれ」「百物語」など。物語の 幾(いく)つかはチャイナに起源を持つ物もあるようだ。特に著しい物としては「安芸乃助の夢」が挙げられるが、確かにチャイナに原話がある。けれども語部はあらゆる場面で拝借したものを脚色して違和感のないように取り入れた・・・。妖艶な物語「雪おんな」は、武蔵国(むさしのくに)西多摩郡(にしたまごおり)調布(ちょうふ)の農夫が彼の生まれた村の伝説として語ってくれた。既に日本語で筆記されているのかどうかは知らないが、その特異な信仰はかつて日本のほとんどの地域に確かに存在し、沢山の不思議な話が残されている。「力ばか」の事件は個人的な出来事で、話をした日本人の言葉に従って苗字を変更した他は少しの違いもなく起こったままに書き記した。
L.H.
日本国東京1904年1月20日
耳なし芳一の話
今から七百年あまり前、下関海峡の壇ノ浦で平家と源氏の間で長きに渡る争いの最後の戦いが行われた。そこで平家は女も子供も今では安徳天皇という名で記憶されている幼い帝もことごとく滅びさった。それ以来その海と海沿いのあたりでは七百年のあいだ亡霊がさまよっていたという。
別の機会にそこでは平家蟹とよばれる奇妙な蟹が見られると話したことがある。蟹の背中には人の顔が付いているが、それは平家の武者の魂だといわれている[1]。けれどもその海沿いではたくさんの奇妙なことが見聞きされた。闇夜には無数の人魂が水ぎわをさまよっているか、波の上をふわふわ飛んでいた。それは漁師が鬼火と呼ぶ青白い光、魔性の炎の事だ。また風が吹くときはいつも合戦の雄たけびのような大声が海の方から聞こえてくるのだった。
以前の平家は今よりもはるかに騒がしかった。夜中に通りかかる舟のまわりに現れては沈めようとしたり、泳ぐ者をたえず狙っては海に引きずり込もうとした。亡霊達を鎮めるために赤間ヶ関[2]に阿弥陀寺という仏教の寺が建てられたそうだ。墓場もそのかたわらの海岸近くに作られ、水底に沈んだ帝や重臣の名を彫りこんだ墓石がいくつか建てられた。そこでは彼らの魂のために定期的に仏教の法要が行われた。寺が建ち供養されるようになってからは、平家の亡霊達は前ほど悪さをしなくなったが、時おり怪しげなことをするのは続けていた。それは彼らが成仏していない何よりの証拠だった。
今より何百年か前、赤間ヶ関に琵琶[3]の弾き語りの巧みなことで世に知られた、芳一という名の盲目の男が住んでいた。幼い頃より語りと演奏を習い、少年の頃にはすでに師匠たちを凌(しの)いでいた。琵琶法師を生業とする者として彼は主に平家と源氏の歴史を詠(よ)むことで名を馳せた。彼の語る壇ノ浦の合戦のくだりは「鬼神でさえ涙をこらえる事かなわなかった」と言われている。
世に出はじめた頃、芳一はたいそう貧しかったが彼の助けとなる良き友を見つけた。阿弥陀寺の住職は詩と音楽が好きだったので、しばしば芳一を寺に招いては弾き語りをさせた。後に若者のすばらしい技におおきく感じ入った住職は芳一に寺に住むようにと言い出した。その申し出はありがたく受け入れられた。芳一は寺の建物の中にひと部屋を与えられた。そして食べ物と宿の見返りに、住職の暇な晩に琵琶の弾き語りで満足させることが求められた。
ある夏の夜、住職は死人(しにん)の出た遠くの檀家に仏教の法要をいとなむために呼ばれた。彼はそこへお供の者を連れて赴(おもむ)き、寺には芳一ひとりが残された。それはむし暑い夜のことだ、盲目の男は寝間(ねま)の前にある縁側で涼もうと思いたった。その縁側は阿弥陀寺の裏の小庭が見渡せた。芳一は寂しさを紛らわすために琵琶を弾きながら住職の帰りを待った。夜更けになっても住職が姿を見せることはなかった。けれども部屋の中は休むには暑すぎたので芳一は外にとどまっていた。そのうちに裏門から足音が近づくのが聞きこえてきた。だれかが庭を横切って縁側の彼の正面までやってくるとすぐに立ち止まった。だがそれは住職ではなかった。とうとつに太い声がぶしつけに目の見えぬ男の名を呼んだ。侍が家来に命令するように、
「芳一、」
「はい」(1)
脅しつける声に、盲目の男は怯(おび)えながら答えた、
「わたしは目が見えません、どなたがお呼びになるのか見分けることができません。」
「恐れる事はない」
見知らぬ男は話し方をいくぶんかやわらげながらも大きな声で言った、
「わしはこの寺のそばに泊まっているが、お前にことづけを頼まれて来た。わしの仕える殿様はかなり高い身分にある方で、今は高位の従者をあまた引き連れて赤間ヶ関に滞在していらっしゃる。殿様は壇ノ浦の 戦(いくさ)の跡を見たがっていらしたが、今日その場を訪ねられた。そこで戦の話を語るお前の技を耳になされて、今すぐお前の技を見たいと強く望んでおられる。だからお前はすぐに琵琶を持って尊い方たちのお待ちになる屋敷までついて参れ。」
こう言われては、侍の命令を安易に拒否する訳(わけ)にもいかず、芳一は草履(ぞうり)を履き琵琶を携えて、見知らぬ侍の後を器用に付き従ったが、たいへんな早足で歩くのを余儀なくされた。案内人の手は鉄で覆われ、歩く度にガチャガチャと音がするのは、しっかりと鎧(よろい)を着込んでいる証だった。おそらくは幾(いく)らか護衛の任を負っているのだろう。芳一は始めの怖れがとけると、自分に運が向いてきたのだと思い始めた。「かなり高い身分にある方」と家臣が自信たっぷりに語っていたのを思い出した。詠唱を聞きたがっている殿様は大名の中でも名門に入らぬ者ではなかろうと思った。やがて侍は立ち止まり、芳一は大きな門の前に着いた事に気が付いた。この町の中で大きな門といえば阿弥陀寺の正門以外には思い付かないのだが、彼は訝(いぶか)しんだ。「開門」[4]侍が叫ぶと、かんぬきを外す音が聞こえ、二人は中へと進んでいった。彼らは庭のあたりを横切り、どこかの入り口の前で再び立ち止まると、家臣は大きな声で叫んだ。「失礼致します。芳一を連れて参りました。」それからあわただしく足音が近づいて来てすだれが巻き上げられ雨戸が開けられると、女達の話し声が聞こえてきた。その言葉遣いから芳一は女達が高貴な家柄の一族だと判ったが、いったい何処(どこ)に連れて来られたのかは想像すら付かなかった。思いを巡らせるだけの僅(わず)かな時間があった。幾つかの石段を助けを借りながら上りきると草履を脱ぐように言われ、果てしなく続く磨かれた板張りの上を女の手に引かれて、覚え切れないほど多くの柱で支えられた角を曲がり、とある巨大な住宅の怖ろしく広い敷物を敷いた床の中央に案内された。思うにそこは偉い人たちが集まる所なのだろう、森の木の葉がたてるようにカサカサと絹の摺れる音がしていた。小声で話す多くのざわめきに混じって宮廷の話しも聞こえてきた。
芳一は落ち着くように自分自身に言い聞かせると、彼の為に座布団が用意されているのに気が付いた。それが彼の許に渡され、楽器が調整されてから、老女あるいは侍女長と思しき女の声が挨拶して言った・・・
「今から琵琶の伴奏に合わせて平家の歴史を詠唱(えいしょう)して下さいませ。」
これから全てを詠唱すれば非常に多くの夜を費やさねばならないのだが、どうするべきか芳一は恐る恐る訊(たず)ねた・・・
「物語の始めから終わりまでを僅(わず)かの間に語る事はできません、これから語るにあたって何処(いずこ)の場面をご所望でございましょうか。」
答えたのは先程の女の声だった。
「壇ノ浦の戦の物語を詠んで下さいませ。そこが哀れの極みなのですから。」[5]
それから芳一は声を張り上げて、無情な海での戦いの詩篇(しへん)を詠唱しはじめた・・・彼の琵琶は、必死に槐(かい)を漕いで突進する舟、ヒューあるいはシューと鳴る弓矢、踏(ふ)みつけにされた人の悲鳴、兜のガチャガチャという金属音、渦巻く波間での殺戮の様子を驚くべきほど巧みに奏でていた。そして詠唱が小休止にはいると右や左から彼を賞賛するざわめきが聞こえてきた。・・・「何と凄まじい名人だ」「我々の住む辺りでは決してこのような演奏を聞くこと叶わぬ」「この国で芳一ほどの歌い手は他におるまい」・・・すると新たな勇気が湧いてきて、彼が以前にも増して更に巧みに謡(うた)い奏でると周囲は不思議なほど静まり返った。しかし最後に彼がなすすべのない明らかな運命を語りだすと・・・女や子供たちの哀れな最後や、二位の尼の身投げ、その腕に抱かれた高貴な幼子(おさなご)・・・聴衆の全てが一斉に長く、長く打ち震え悲痛な泣き声を上げた。そうして彼らは目の見えぬ男を彼自身が作り出した悲嘆と凄まじさに怯える程、あたりかまわず騒々しく涙して嘆き悲しんだ。長い時間に渡ってすすり泣きと慟哭(どうこく)が続いた。しかし嘆き悲しむ声は次第に弱くなっていくと、再び大きな沈黙につつまれた。そこで芳一は老女と思(おぼ)しき女の声を聞いた。
彼女が言うには・・・